【Yes We Fight ワレワレは戦う】365日の1日を。メッセージを運ぶTシャツ【大津司郎のアフリカ目撃】【黒】
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【Yes We Fight ワレワレは戦う】365日の1日を。メッセージを運ぶTシャツ【大津司郎のアフリカ目撃】【黒】

¥4,000 税込

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365日の1日だけでも。 1日だけでもこのTシャツを着てアフリカの人々に想いを馳せて、彼らのメッセージを運んでみませんか。 【Yes We Fight ワレワレは戦う】 兵士を取材している時に撮ったのが4人のゲリラ兵士の立ち姿である。その写真をもとに鉛筆で描きTシャツにしました。 右端の兵士はたぶん少年兵です。 だれにも知られることなくタフな環境で、タフに戦いそしてタフに生きる4人の男たちです。 <撮影日/1993年9月> <描いた日/2017年2月> <場所/ラフォン、南部スーダン(現南スーダン共和国)> 南部スーダン(2011年に独立し現在は〝南スーダン〟)で戦うゲリラを訪ねること、取材することは何故かわたしの憧れであり、目標だった。 苛酷な環境の下、あらゆるものが欠乏する中で戦い続けるゲリラたちのタフネス、南部スーダンの大地を二つに割って流れるナイル川、悠久の過去から牛と共に生きる牧畜民たち、そして内戦の只中でたびたび繰り返される飢餓、南アのフリーのジャーナリスト、ケビン・カーターによって世界中に伝えられた「ハゲワシと少女」の舞台、ピュッリツアー賞を獲ったその一枚の写真に世界は驚愕した、なぜ、カメラマンはハゲワシを追い払い、少女を助けなかったのか! 批判の嵐が世界中に巻き起こった--だが、だからといって批判した人たちが本当に少女を助けよう立ち上がったかというとそうした行動もキャンペーンも起きなかった。その間に、孤独と自分と戦い続け押しつぶされたケビン・カーターは自ら命を絶った。 --93年からしばらくの間、南部スーダンの取材でわたしはケニヤ北部にあるロキチョキオの国連・NGO基地をベースに、国連の許可をとってさまざまな飛行機に同乗させてもらい南部スーダン各地に飛んだ、セスナのような単発の小型機もあれば、C130大型輸送機に同乗した時も数多くあった。 地上が地雷とゲリラの襲撃で安全が確保されない状況下では飛行機の役割はとくに重要だった。そんな中でもC130による〝エア・ドロップAir-Drop/食料の空中投下〟はエキサイティングな取材だった。計16トンの食料(トウモロコシ、ソルガム:雑穀)をパラシュートもつけずに300mの高さから地上に落とす。下手をすると巻き込まれて自分も落下する恐れさえある危険な作業だ。もちろん普通に目的地まで飛んで降りて、被災民キャンプや飢餓に瀕した村々を取材することも多かった。 ------------------------------- ★そして訪ねたのが東エクアトリア州ラフォンの村とそこにあるSPLA-UNITED(スーダン人民解放軍統一派)のゲリラ基地だ。1993年当時、SPLAはおもに二つの派に分かれ、北のアラブ・イスラム政権と戦うと同時に二派の間でも戦っていた、主流といわれたのが、SPLA(スーダン人民解放軍)創始者の一人、ジョン・ガランの率いるSPLA主流派で、おもにディンカ族主体で成り立っていた。一方もう一つはガランの宿敵でヌエル族を率いるリエク・マシャールのSPLA-UNITEDだ。その他にもいくつもの分派、あるいはサブグループがあって複雑な敵対関係にあった。スーダンの将来をめぐっては北部アラブ・イスラム政権といずれは「統一スーダン」をつくろうとする派(ジョン・ガランの主流派)と分離派(マシャール派)に別れていた。 しかし、暫定統一スーダンの副大統領にまで就任したガランは、志半ばにしてヘリコプター事故?で落命。その後を継ぎ、2011年、南スーダン独立と同時に大統領に就任したのがSPLAの最高司令官サルファ・キール(ディンカ族)だ。そしてキール大統領と対立、2013年、多数の難民、被災民をだした大規模な戦闘を起こしたのがリエク・マシャールだ。依然、90年代のSPLA同士、あるいは民族間の対立、戦闘を引き継いだまま、容易に真の平和的妥協は訪れないまま、今に至っている。 ラフォンの村はディンカ族でもヌエル族でもなく、おもにバリの人々が半農半牧の生活を送っている。自然・気候的にも牧畜に適した草原地帯というよりは、乾燥度は相当きついがより東アフリカのサバンナ気候に近く、丘が点在し、その間には叢林、林も見える。 わたしは欧米のNGOのテントに泊めてもらったが、寝袋一枚でほぼ地面に寝ていたので、身体が冷えたのか、ちょっと体調を悪くした。同じテントにはベルギー人のジャーナリストが泊まり周辺を取材していた。ボスニアのような戦闘を期待してきたが、ここは戦闘よりも環境がタフで大変だといっていた。 わたしは村の暮らしも撮りながら、SPLA-UNITEDの本部を訪ねた。 岩山が多くその下では女たちが主食のソルガム(雑穀)の実を岩の上で手ごろな大きさの石で砕き、擦っていた、しばらくすると白い粉にになり、それをさらに熱い湯で練ったりして食べるらしい。 木の下にある〝本部〟では幹部が迎えてくれた。 武器は豊富で、一応まともなユニフォームに身を包み規律もとれているように思えた。 しかし、最初に発せられたのは、生存と戦いを続けることの厳しさだった。 〝毎日の戦闘で、多くの兵士が傷ついている〟 〝しかし、すべてが不足しているここで手当てすることは難しい、まともな診療所も病院もない〟 〝ここから10時間以上車で走ったケニヤのロキチョキオ(国連のベース、ICRC/国際赤十字の病院がある)に病院があるが、戦闘に巻き込まれ傷ついた一般市民が優先で、戦闘員の負傷、病気は後回しだ、地雷も含む戦闘の負傷者が多いわれわれは本当に困っている〟 基地の司令官は本当に困っているようで開口一番、その問題についてカメラに向かって話した。 その時の絵である。 ーーー ◆アフリカを往復して50年、旅から紛争地取材まで、その時々のリアルをスナップ・ショットしてそれを鉛筆で描き、さらにTシャツにプリントしました ◆世界にたった一枚しかないその時、その場のストーリーを着ていただけたらうれしいです ◆男も女も子供たちも、今、どうしているのだろうか?生きているのだろうか?いつもそのことをわたしは思いながら描いてます ◆一枚の小さな画とTシャツを通して少しでも過去から現在のアフリカを知ってもらえたらうれしいです 【自己紹介】 1970年、アフリカで農業をやろうという仲間を代表して、はじめて横浜の港から船でアフリカに渡る、ヒッチハイクと路線バスで東アフリカを旅しました、その後---- 1973年、「サハラ干ばつ救援委員会」設立、ナイジェリア、チャドに救援物資を届ける、大統領府、チャド赤十字に寄贈 1975~77年、青年海外協力隊でタンザニア(ダルエスサラーム)に赴任 その後から現在~ 2つ(①②)の仕事、そして③アフリカ紛争取材(映像)ジャーナリスト ①テレビ番組アフリカ関連コーディネーター おもな番組:「世界不思議発見」「24時間テレビ」「世界の果てまでイッテQ」「情熱大陸」「番記者」「ダーウインが来た」「驚異の世界」「宇宙船地球号」「未来世紀ジパング」「カンブリア宮殿」「NHK国際放送/ライジング」他各局「特番」等多数 ②ツアー・ガイド A:アフリカ・スタディツアー 学生を中心に若者、社会人をアフリカのホットな現場-難民キャンプ、虐殺現場、元少年兵施設、スラム、孤児院、学校、経済成長の現場(IT関連、TV局、証券取引所等)-、にお連れしてジャーナリズムの視点から問題を体感、解説/訪問国はルワンダ、タンザニア、ケニヤなど B:サファリツアー マサイマラ(ケニヤ)、セレンゲティ(タンザニア)等の大自然、ヌーの川渡りを中心に案内 ③アフリカ紛争取材 母の死(92年3月)から9か月経った12月、一応内戦が収まったソマリアに〝人道支援(救援食料が被災者に届くよう力による安全な環境の創設、NGOの保護など)〟の目的で完全武装のアメリカ軍、3万人が上陸した、それを知り何故かわたしは自分で8mmビデオを持ってソマリアに飛んだ、それ以前、釈放から3か月たった90年5月、南ア解放運動のリーダー、ネルソン・マンデラ氏をソウェトの自宅に直撃インタビュー、その辺りがジャーナリズムへのきっかけかも知れない、その後、ルワンダ、コンゴ(ザイール)、スーダン、アンゴラ、ソマリア、ウガンダ、ブルンディ、チャド、さらにイラク、インドネシアなど紛争地を取材、日本には伝えられないが、世界の最前線を伝えてきた、数え切れないくらい多くの人間たちと出会い、握手し、話を聞き、そしてカメラを回し続けた、そしてふと目にした風景をスナップショットした text by Otsu Shiro Youtube再生リスト:アフリカ紛争取材ジャーナリスト 大津司郎 https://www.youtube.com/playlist?list=PLri6O_ZNqIvEBT4Y9YC4CnLXiPfaTrSxw 【メッセージを運ぶ】アフリカ紛争取材ジャーナリスト 大津司郎 vol.1 https://youtu.be/luJH-lUWwPI 【なぜアフリカ】アフリカ紛争取材ジャーナリスト 大津司郎 vol.2 https://youtu.be/tvG69tmuelE 【アフリカ鉛筆画の始まり】アフリカ紛争取材ジャーナリスト 大津司郎 vol.3 https://youtu.be/pdfSbgWOp7M 【アフリカ鉛筆画の向こう】アフリカ紛争取材ジャーナリスト 大津司郎 vol.4 https://youtu.be/oQZsfvI11dE ※ ご注文頂いてから2週間程でのお届けとなります。 ※ ポスト便でお届けします。 ※ XS、XLサイズご希望の方はお問い合わせからご連絡ください。 ※ 送料無料です。